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私は何を残せるのだろう(山下憲治氏の逝去にて思うこと)
2000.7.21 井上きよみ

今月、インプレスの山下憲治さんが癌で亡くなった。
山下氏は以前メールマガジン「Internet Watch」の編集長をしていたので、このメールを受けていた人は、毎日、きっと彼の名を無意識のうちに目にしたことだろう。
彼自身はどう思っていたか知らないが、はたからはめまぐるしく移り変わるコンピュータ業界、インターネット業界を駆け抜けた一人として見られていたはずだ。

山下氏は私と同年代、いえ、多分同い年だと思う。同い年の人が亡くなることもショックながら、以前、彼のホームページを訪れて、何か非常に共感したことを思い出し、再度、そのページに行ってみた。

●彼の考え

そこには「Thinking Path (僕という編集者の考え方)」と題したページがある。1つ1つは短い文書ながら、彼の飾らない本音というか、信条のようなものが書かれている。

以前訪れた時には、私がライターであり(たまには編集もやるが)、彼と同じ業界にいることが共感できる大きな理由だと思っていたのだが、そんなことより、同じ年に同じ時代を過ごしたことこそが、案外大きいのかもしれない。

編集者として人をまとめる立場にあった彼が、日々の仕事の中で成功したり失敗したりしたことが、その考え方を生み出したのだろう。きっと私は、そのどこかに自分自身の姿を重ねたのだ。
私も日々の失敗を積み重ね、教訓を得たり、考え方を少しずつ変えながら、そして今日も仕事をしている。

●彼の考えは生き続ける

山下氏はメールマガジンの創世記を創り出した人としてその功績が残るのだろうが、私はむしろ、その功績よりも、彼が彼のとてもとてもシンプルなホームページに記していた考え方こそ生き続けるのではないかと思う。
山下氏の周りやその下で働いた人は、何かしら彼の影響を受け、それを仕事のどこかに反映しているに違いない。

●そして私は

私だって、いつ死ぬかわからない。不慮の事故で明日の命かもしれない。
そして私は何を残せるんだろう、と考えた。もしかして残す必要なんてないのかもしれない。それとも自分のした仕事? 書いた本? そんなもの、自分が死んでしまえば何の意味もない。

もし、唯一意味があるとしたら・・・、わずかな周りの人々の心の中に自分の生き方が残ることだろう。自分の日々の何気ない考え方や気持ちの持ち方や人との接し方。そんなものの何か一つが、周りの人の心に残ってくれたらいいなあ、と思った。

何か一生懸命になれるものを見つける、いろんな意味で楽しいとか素敵と思えるものを見つけること。そこからきっと始まる。

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日本人と中国人の違い点
2000.7.12 李剛

日本に来ている3年ぐらいの間で、中国人の視点から、日本人と中国人のことをいろいろ比較して、結果として、日本人は水のようにさらりしているが、中国人油のように、ねちっこい

本当に見かけは似ているが、中国人の生活や考え方の底を流れているものは、日本人のそれとはだいぶ違うのです。

たとえば、衣食住にも大きな違いを存在する。

普通に中国人の生活は椅子、机、寝台が基本で、立っているスタイルが主である。これに対して、日本人の生活は畳の上に座っており、寝たりが基本的なスタイルになっている(最近の日本人の生活は、すこし変わるかも)。

食事も、中国人は必ず火を通し、生ものは食べない。ところが、日本人は刺し身に象徴されるように、なまものが大好きだ。着るものも、日本人の着物のようなではなく、中国人は上下二つ、すなわちツーピースが普通のスタイルである。

言葉の構造にも大きな差異がある。中国語では、『わたしは』『○○する』『××を』の順序で言葉を並べる。これに対して、日本語は『わたしは』『××を』『○○する』となる。主語、目的語、動詞の順序である。

要するに、目的語の位置が違うのだが、これは意思の表現法の違いでもある。

中国人は、率直な表現が好む。動詞を先に持ってきて、自分が何をしたいのか、相手になにを要求するのが明らかにする。日本人は、動詞を最後に持ってきて、自分のしたいことを婉曲に表現する。
中国人は直言を好む。言語のやり取りで、重要なことは、相手に自分の意思をはっきりと分からせることだと思う。これは敬語などの使い方にも表現られる。

たとえば、日本人はあいての気持ちを尋ねるのに、謙だって否定疑問の形をよくとる。   

  『・・・・・してかまいませんか?』
  『・・・・・御存知ないかもしれませんが』

これは相手の気持ちを尊重するという配慮の表れだと思われるが、中国人の場合に対しの言い方は

  『・・・・・したいですが』
  『・・・・・現実はこうなのです』

とストレートに表現する。

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パソコンを使う英語の授業
2000.7.6 伊東美和(学生アルバイト)

週に2回、学校で英語の授業がある。片方の授業は、パソコンを使った英語の授業である。「英語の授業でパソコンを使うなんて、ユニークな授業だなぁ。」と、思って履修要項を読んでいたのだが、かなり、授業内容がハードだった。履修届けを出すときに、履修したい英語の授業を第4希望まで書いて抽選なるのだが、第4希望で出したはずのその授業を受ける羽目になってしまったのである。

授業内容は、自分が興味のある英語のH.Pを読んで、みんなに(日本語で)プレゼンテーションするというもの。自分の好きな情報を得られるから、積極的に作業ができた。
それでも、分からない単語が出てくると、「あの分厚い辞書をひかなきゃ。」と、少し憂鬱になってしまう。「でも、インターネットを使えるのだから、1件くらい英単語を日本語に変換するサイトがあるはず。」と、考えた。
そこで見つけたのが、「英辞郎」というサイト。ほかにも、このようなサイトはあったが、自分にとってここのが一番使いやすい。他に比べて、連語や固有名詞が検索にひっかかりやすいと思う。たまに、ここで見つからなくて、辞書をひくことももちろんある。
このサイトのおかげで、週2回辞書を持って行かなくてはならなかったのが、1回で済むようになった。それは、この授業のいいところかもしれない。

この課題の注意事項として、「資料として見れるページは、英語のページのみあるもの。つまり、日本語ページと英語ページがそれぞれ用意されていないもの。」だった。でも、「外国語で書かれたH.Pが、自動的に日本語に翻訳してくれるサービスが始まる」という記事のことを考えると、来年この授業は、このサービスを知っている人にとっては、楽に違いない。
残念なことに(!?)この課題の締切は、そのサービスが始まる前だったから、意味不明な訳がたくさんある。「自分の訳がどれだけいい加減なのか見てみたい。」と、思った。

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